下町酒場はしご酒~江戸川のディープな居酒屋巡り
東京の立ち飲み酒場の事情
「……立ち飲みて」という句が、江戸期の柳川に散見される——どこかの書物でそう目にした覚えがある。上の五・七は失念したが、出がけに干す「立ち酒」の詞(ことば)と同じほどに、歴史を重ねた響きだ。
もっとも、いわゆる「立ち飲み屋」の起源を紐解けば、明治の末から大正にかけてというのが通説らしい。縄文の昔から酒と付き合ってきたこの国の酒歴からすれば、随分と浅い歴史である。もとより日本人の酒宴といえば、車座になって情を交わすのが本流。立ったまま煽るなど、本来は異端の作法だったのだ。江戸の町衆が床机や小上がりで腰を据えて飲む時代を経て、立ち飲みという形態がようやく市民権を得るまでには、相応の歳月を要した。
とはいえ、酒屋の店頭で一杯引っかける程度の「立ち飲み」なら、江戸の職人あたりが疾うにやっていたに違いない。貧乏徳利に注いでもらう間すら惜しみ、一合升の角から直に流し込む。九州でいうところの「角打ち」だ。
戦後、この風習は衛生面を理由にGHQの手で固く禁じられた。これに異を唱えたのが、浪速の酒屋の親父である。わざわざ上京して直談判に及び、紙コップの使用を条件に、泥臭い伝統の命脈を繋ぎ止めたという。
大阪で太く根を張ったのに対し、東京の立ち飲みは昭和四十年代を境に一度は陰りをみせた。だが90年代の半ば、首都の空気と混ざり合うことで、風向きが変わる。かつて「東京スタイル」と評された、新たな形態の萌芽である。2000年の節目を迎える頃には、無骨なカウンターに出来合いの惣菜を並べるスタイルから一歩進み、酒場に洒脱な風情が漂い始めた。身なりを整えた客や、女性が一人で暖簾をくぐる姿も、もはや珍しい景観ではなくなった。
古風な角打ちから、都会の洗練へ。立ち飲みは今も形を変えながら、酒飲みの喉を潤している。
江戸川区でおすすめの立ち飲み屋は小岩の(立ち呑み酒場 さくら)、西葛西の(待夢)、新小岩の(シン たちろまん)、小岩の(STAND PUB NARU)。小岩の(鳥勢)も忘れ難い。
↑「立ち飲みの肴」平井 薫酒や いこう商店のツマミ
↑「立ち飲みの肴」京都 いなせやの白子ぽん酢
↑「立ち飲みの肴」高松 海鮮立呑 牡蠣スタンドの牡蠣
↑「立ち飲みの肴」学芸大学 立呑み 鉄砲玉のコハダ酢〆

◆この記事を書いたひと
酒場ライター:居酒屋伝道師・池波和彦
東京生まれ東京育ち。酒場巡りを趣味とし、北は北海道の離島から南は沖縄の離島まで新規9000軒以上の店を巡りブログ「日本の酒場をゆく」を執筆。毎夜全国の居酒屋やバーにて神出鬼没の酒戦の日々を過ごす痛飲派。
ブログ「日本の酒場をゆく」↓
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