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下町酒場はしご酒~江戸川のディープな居酒屋巡り

池波和彦のまいぷれ江戸川区・魅惑の下町酒場#夏・小岩

小岩ノスタルジー

大学を卒業し、しばらくして一人暮らしを始めた。

小岩駅北口を出て線路沿いを江戸川方面に歩いた小岩アーバンプラザの近くだ。

「池波和彦」

自分の表札を出すのは初めてだ。小さいながらも一国一城の主。悦に入って腕を組み、しばらく眺めていた。鍵を閉め商店街に買い物に出た。ラッキーにも近くにスーパーがある。

自炊せねばならず、荒物屋に入り、鍋やざるを買った。

毎日金がなく、新宿や池袋で映画を見れば手元にいくらも残らなかった。

それから3年暮らした。今でも小岩はわが町と思い、訪ねにゆく。

ときどきかつてのわが家を確認し、誰か住んでいると安心していたが、2年ほど前ついになくなり更地になっていた。

私はある夢を繰り返し何度も見る。それは、今住んでいるところとは別に、まだこっそり小岩の家を借りていて、そこには着替えや食器があり、たまに訪ねて風を入れたり一晩泊まる夢だ。

目覚めるころ、ああ久しぶりに思い出した、今日あたりちょっと行ってこようかと思っていると本当に目が覚める。あれからおよそ20年たった。

23から26歳の人生の春、温かい日も寒い日もあった町を訪ねてみよう。

昔の自分に帰るためにそこに行く。

 

小岩駅北口はずいぶん変わってしまったが、南口の昭和通り商店街は今も健在で、同じ店が残っているのがうれしい。

光は西陽になってきた。ぼちぼちなじみの居酒屋に行こう。

総武線の高架を潜り、蔵前橋通り沿いの「小野内酒場」に入った。

ここには何度も通っているが大人がゆっくりできる居酒屋だ。

まずは焼酎ハイボール。

ングングング……。ああうまい。

「酎ハイ」の名称が生まれたのは、東京の下町酒場で親しまれた大衆飲料に端を発している。

これは焼酎ハイボールの略にすぎず、俗にいう下町ハイボールのことだ。

この大衆飲料は戦後、進駐軍兵士たちが飲んでいたハイボールカクテルにヒントを得て誕生したという。しかし、その発祥の先駆けとなった商品が半世紀にわたり「謎のエキス」として封印され続けた。この「謎のエキス」が天羽飲料の天羽の梅である。

我々が普通ハイボールと呼ぶものは、スピリッツをベースに炭酸水【ソーダ】で割ったカクテルの一種と理解していれば事足りる。
ハイボールの発祥は禁酒法時代にカクテルブームを起こしたアメリカ。
粗悪なアルコール【酒】を旨く飲ませるために考案されたミックス飲料で、焼酎ハイボールの誕生した動機も同じである。

天羽のエキスは、昭和30年前後の第一次焼酎ブームの波に乗って、浅草や千住、向島界隈を中心とする大衆酒場で爆発的にヒットした。
次第に天羽のエキスは下町エリア全域の大衆酒場へシェアを伸ばしたが、当初これを提供できる酒場は限られており、店主は客の人気を独占するためにも商品の素性を明かさなかったのだ。
当時焼酎ハイボールを求める客で賑わった有力店が、この「小野内酒場」である。

この店は昭和12年創業。
料理は、いわゆる大衆酒場お馴染みの顔触れが並ぶ。
ここには、うまい料理と酒に加えて店の歴史がある。
サッと飲んで立ち去るにはもったいない、どっしりと腰を落ち着けて飲みたくなる一軒だ。

 

初めて一人暮らしをした小岩は、その後の生き方の基礎になった。

私の人生はもはや秋だが、この町に来れば「春」がある。

「私は小岩のあの家に帰りたい」

↑随分変わった北口

↑南口の飲み屋街は昔のまま

↑この辺りも昔の雰囲気が残る

↑夏のこの時季はカツオがうまい

◆この記事を書いたひと

酒場ライター:居酒屋伝道師・池波和彦

 

東京生まれ東京育ち。酒場巡りを趣味とし、北は北海道の離島から南は沖縄の離島まで新規9000軒以上の店を巡りブログ「日本の酒場をゆく」を執筆。毎夜全国の居酒屋やバーにて神出鬼没の酒戦の日々を過ごす痛飲派。

 

ブログ「日本の酒場をゆく」↓

https://ameblo.jp/m458itmasa/

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

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