下町酒場はしご酒~江戸川のディープな居酒屋巡り
客もいろいろ店主もいろいろ店もいろいろ人間いろいろ
旅先でのこと。
路地裏で見つけた、いかにも通好みといった佇まいの日本酒バー。ここらは有数の酒どころだ。
「これは旨い地酒にありつけるかも知れない」
そう胸を躍らせて暖簾をくぐった。
軒下の杉玉、ずらりと並んだ猪口のコレクション。店主の並々ならぬこだわりが店内に満ちている。カウンターへ腰を下ろし、あたりをぐるりと見回したが、どこにも品書きが見当たらない。
「お酒のメニューを見せてもらえますか」
そう声をかけると、顎髭をたくわえた五十代ほどの主人が、堂々たる体格を揺らしてじろりとこちらを睨んできた。いかにも自分の腕に絶対の自信を持っています、といった風情だ。
「うちに品書きはありませんよ。お好みを言ってもらえれば、こちらで選んでお出しします。最近の人は銘柄の名前だけで飲むようになってしまって、本当の酒の味を知りませんからね。普段はどんなものを飲んでおられるんですか?」
「……」
なにを上から目線で言っているんだ。その「最近の人」の中に自分も含まれているとでも言いたいのか。
いいだろう。
「神亀の槽しぼりかめ口。限定の小鳥のさえずりも悪くないが、あえて選ぶなら前者だな」
「あ、そう」
主人は鼻で笑うような、気の抜けた返事をした。
自慢じゃないが、こちらはあの名酒「神亀 槽しぼりかめ口」の仕込み1号を、蔵元から直々に譲り受けて味わった身だ。この地方でそう簡単に手に入る代物ではない。
やがて、ラベルの剥がされた一升瓶から、なみなみとグラスに酒が注がれた。
「普段から神亀をお飲みなら、これが口に合うでしょう」
一口含む。
……くぅ。深みのある力強い旨味と重厚感。確かに旨い。
だが、どれほど似ていようと偽物は偽物だ。本物には敵わない。
「なんてお酒です?」
「うちは銘柄をお教えしないんです。先入観で飲んでほしくありませんから」
「……」
何を押して注がれているのか分からん酒など、少しも面白くない。ワインの店で銘柄を隠されたら客はどう思う。この蔵のこの味わい、と一つずつ舌に記憶させていくことこそが酒の醍醐味ではないか。好きな女の名前も知らずに付き合っていられるか、というのだ。
「ふーん……。これ、一杯いくらですか?」
「二千円になります」
銘柄が分からない以上、それが適正価格なのかすら判断がつかない。
確かに味はいい。しかし、目隠しをされたまま料理を口に押し込まれているような、奇妙な不快感がじわじわと込み上げてきた。
二口ほど呑み進めたところで、すっと立ち上がった。グラスにはまだ、なみなみと酒が残っている。
「またどうぞ」
背中に向けられた店主の声に、心の中で吐き捨てた。
二度と来るか、こんな店。
↑謎の銘酒
↑東京荒木町の飲み屋街

◆この記事を書いたひと
酒場ライター:居酒屋伝道師・池波和彦
東京生まれ東京育ち。酒場巡りを趣味とし、北は北海道の離島から南は沖縄の離島まで新規8000軒以上の店を巡りブログ「日本の酒場をゆく」を執筆。毎夜全国の居酒屋やバーにて神出鬼没の酒戦の日々を過ごす痛飲派。
ブログ「日本の酒場をゆく」↓
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。
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